140文字の箱

これといった楽しみもないのでブログを始めてみたのだけど、これといった出来事がないとブログに書くこともない。

Twitterに染まってから、Twitterがネット上のすべて、とは言わないまでも、

ネット上にあるあらゆるコンテンツを検索するための第一手段、というくらいには、自分の中の優先度が上がっていて、なんとまあTwitterってスマホから利用したほうが何かと手軽で便利だし、もう何年もパソコンから遠ざかってきた気がする。

 

ここまで220文字

 

少し怖いと思っている。

Twitterの140文字って絶妙な長さで、短いようで割と長い。その文字数でちょっとした小説を書いてる人もいる。最近は、公式アプリを使えば半角文字は0.5文字カウント、URLも短縮されるし、画像も4枚載せられるから、ライブや催しの告知もきちんとできる。URLを載せたら、サムネイルカードまで表示してくれちゃう、これも公式の機能だけど。

意見を申し上げるにも、ちょっとした理屈をこねるにも、工夫すれば十分に可能だから、最近のTwitterにはめんどくさい人がすごく多い。140文字の制限の中で、あらゆる人が生活している。

ひとりごとを呟く、誰かとひとりごとを呟き合う。興味が同じ人とお茶の間的な感覚で楽しむところから最近は、

あらゆる公式アカウントや有名人が、その独り言の感想や意見を取得するため、あるいは追い風を起こすため、世界を動かすために『ハッシュタグ』というものを広めたりもする。

140文字はすごい。人と意見交換ができる十分な文字数だった。最近は自分や相手に『リプライ』を飛ばして、自分の元ツイートをスレッドにする使い方も増えてきた。そうなると、140文字の制限から解き放たれた人たちの演説や議論が始まる。

 

好きなことについて話す言葉は長くなる。避けたいことに関して語るときまで長くなるのは私の直したい癖だ。

140文字をこえるとシステム的にツイートできない。

長くなってしまったツイートの文字数を、言い回しや接続詞でせっせと調整しながら時々考える。

 

自分が140文字に収まる程度の意見しか持たないことに慣れて、どのくらい経ったろう。140文字を超える意見を、長く疎ましいものに感じる世間はいつから定着したんだろう。話の長い面倒な人、話の短い楽しい人、それで信頼度をはかることはいつから始まったんだろう。一か月前に起きた出来事を思い出せなくて、タイムラインを遡って自分のツイートを思い出すようなことはどのへんから始まった?

今は一瞬に書き残され、検索されることもないまま思い出が消えていく気がしている。

ここまで1090文字

 

おっぱい。これでちょうど1111文字かな